ゾクゾクした。美鶴から突きつけられる沙汰無しの日々が、慎二をこの上なく楽しませた。
数日前、美鶴から携帯に着信があった。慎二は気づかず、留守電に切り替わっていたようだ。
ついにかけてきたか。
期待と失望の狭間で慎二の心はグラグラと揺れた。だが、木崎の方に謹慎処分の連絡が入った事を聞き、その後は再びの連絡はない。
へぇ、俺への電話は、ただの事務的な連絡に過ぎなかったというわけか。別に俺と会話がしたかったわけでもないんだな。
おもしろい。最高だよ。俺の方からかけてみたくなる。
そうだ。もっと俺を焦らせてみろ。もっと俺を突き放してみろ。お前にならできる。初めて会ったあの日のように、その牙なる瞳で俺を射抜くんだ。
澤村優輝という、これまたイカれた異性に囚われたという事実もまた、慎二に甘い楽しみを与えた。
男に嫉妬を与えるか。大迫美鶴、君は本当に小気味の良い存在だ。そうやって、俺の事も暴いてみろ。君は俺の期待した通りだ。君は強い。俺などに絆されるような女じゃない。
俺は、これでようやく破壊される。楽になれる。
そう思っていた。なのに―――
つまらない。
俺の事が好きだと?
なんて気分の悪くなるような言葉。
俺の事を? お前は俺のどこまでを知っていると言うのだ。
お前もやはり、上辺だけで人のすべてを知ろうとする、浅はかで短絡で無能な人間の一人だったのか。
「あ、あの」
長すぎる霞流の沈黙に耐えかねた美鶴が、恐々と口を開く。
私、なんて事を言ってしまったんだろう。
あまりに突発的過ぎる自分の発言が急に恥ずかしく思えて、生唾を飲む。
言ってしまったからにはもう後戻りはできないけど、やっぱりちょっと無謀だったよな。あぁ、霞流さん、困ってるよ。当たり前だよな。こんな小娘に好きだなんて言われたら、普通誰だって困るよな。
直前までの高揚していた気分が急降下し、なんだか自分が惨めに思えてくる。
別に、お付き合いしてくださいとかって、そういうつもりで言ったわけじゃないんだけど、私の言い方って、完全に返事を求めてるよな。これじゃあ、霞流さんを困らせるだけだよ。
言い聞かせ、美鶴は大きく息を吸う。そうして、まず一言。
「あの、すみません」
「は?」
目を点にする霞流に、美鶴は深々と頭を下げる。
「突然、変な事を言いました。別に、返事をくださいとか、そういう意味ではありません」
少々言い訳がましいとは思いつつ、でも他に言葉も見つからずにそう詫びる。
「ただ、なぜ自分が霞流さんの言葉を聞きたいと思うのか、その理由はちゃんと伝えるべきかとも思って… 今日も、突然電話してしまったワケですし」
耳障りだ。
舌打ちしたいのをなんとか我慢し、慎二はフイッと視線を外した。
「学校は確かに楽しくありません。他にも、いろいろ辛い事があって。それで頭がグチャグチャになって、どうしても耐えられなくなって、それでつい霞流さんの優しさに頼りたくなってしまって、電話なんかしてしまって」
ツラツラとどうでもいい言葉が並べられる。
「優しくしてくださるのに意味はないと、それはわかっています。暖かく接してくださるのに他意がない事もわかっています。それなのにこんな事を突然……… 本当にすみません」
俺の優しさ? 俺の暖かさ?
告白しておきながら、返事などはいらない、ただ想いを伝えたかっただけだと言い訳をして己の寡欲さを強調する。恋の駆け引きで使われる常套手段。古典的過ぎて、聞いていて笑える。
「あのっ」
さっぱり反応を示さない相手に、美鶴は不安さえ感じた。
霞流さん、ひょっとして怒ってる? はた迷惑な事を言って不機嫌になってしまったのだろうか?
狼狽さえ浮かべる美鶴の表情に、慎二の感情は完全に冷えた。
いいさ。
そっけなく呟く。
君が本音を見せてくれたのだ。こちらもそれなりのものを見せてあげよう。
「美鶴さん」
それは、胸に渦巻く深い闇など微塵も見せない、なんとも優雅で品の良い微笑み。金の絹糸を風に揺らし、口元を柔らかく和ませてゆっくりと見下ろす。
「お連れしたいところがあります」
美鶴の髪から微かに漂う、銀梅花。薄暗い灯りに浮かぶ霞流の姿に、それは見事に添われて漂う。
「少し、お付き合い願えますか?」
自分の言葉とはまったく噛み合っていない霞流の申し出にキョトンと目を丸くし、だが美鶴は、カクンと人形のように頷いた。
病院の明かりとは、実に無機質だ。温かみもなく、ただその場を照らすという目的の為のみに働いている。
そんな、もう人の行き交う事もない冷たい廊下の端っこで、浜島は女性と向かい合った。相手は廿楽華恩の母親。
「由々しきなどという言葉で片付けられる問題ではありませんわ」
語調を強め、責めるように口を開く。
「娘は死ぬところだったのですよっ」
病院の一角であるという認識はあるようだ。口調は鋭くとも、声は潜める。
「なんとしても、相手の生徒に対しては相応の処遇をお願いしたいですわね」
「無論です」
浜島は即答する。
「明日にでも呼び出し、事実の確認をした上で――」
「確認の必要なんてありませんわ」
廿楽は激しく浜島を遮る。
「山脇瑠駆真という下級生が華恩を追い詰めたのは明白です。突然副会長室へ押し入り、ある事ない事罵声を浴びせ、あわや暴力を振るおうとまでしましたのよ。華恩の受けた恐怖がいかほどのものか、もう私、想像しただけで―――」
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